ロバート・ワース(ヴィルス)さん
『聴者よりも倍努力すれば必ず報われる。達成感がなによりもご褒美だ。』
本日は Roberto E. Wirth(ロバート・ワース) さんをスポットに当てました。
ロバートさんはローマにある5つ星の高級ホテル “HOTEL HASSLER ROMA” のオーナーであり、聴覚障がい者です。
DEAF BRIDGE スタッフの”ゆんみ”こと袖山由美が彼にインタビューしてみました。 詳細は下記のゆんみnoteをご覧ください。
ゆんみnote ロバートさんへのインタビュー記事は、こちら
ロバートさん インタビュー記事(英語)は こちら ※現在は削除されています
<ここからは上記の英語記事を日本語訳しています>
ロバートさんの経営するホテルの顧客リストには、
●アメリカ大統領のアイゼンハワー、ケネディ、ニクソン、フォード、ブッシュやレーガン ●イギリスの首相サッチャーやメージャー ●上院議員のロバート&エドワード・ケネディ、ヘンリー・キッシンジャー、ネルソン・ロックフェラー ●フセイン一世 ●ダイアナ妃 ●モナコのレーニエ3世グレース妃(ハネムーンで訪れた) ●ビル・ゲイツ ●エリザベス・テイラー ●クリント・イーストウッド ●オプラ・ウィンフリー ●カーク・ダグラス ●オードリー・ヘップバーン ●ジャック・ニコルソン ●ジェニファー・ロペスと数人をあげるだけでもこれほどの著名人がいる。
1885年にマルキウス・サルヴィッチからホテル経営者のアルバートハスラーによって買われ、ホテルの経営業は1916年にオスカー・ワースに手渡され、1964年にワースがオーナーとなった。第二次世界大戦の間、イタリアの独自性を加えるためにムソリーニによってホテルの名前が”Villa Medici”に変えられた。
連合国からローマが解放されたあと、”Villa Medici”はアメリカ軍司令所に奉仕した。1947年にホテルとして再開し、未だ2つの名前が使われているが、ホテルハスラ―の名前が目立っている。
100部屋の5つ星ホテルは今、オスカーの長男である総責任者のロベルト・ワースによって経営されている。ワースは代々のホテル経営者の両親のもとに生まれた。長身で気品のある彼のハンサムな容貌はハスラーの魅力と気品をさらに際立てる。彼の妻や家族にも同じ事が言える。生まれつき耳が不自由だったワースは、ほとんどの教育と訓練をアメリカで受け、読唇術で複数の言語を流ちょうに話す。
ABILITYのChet Cooperは今年の初めにイタリアのテルニで行われたThinkQuest National会議の際、ホテルハスラ―とシグノア・ワースを訪れる機会があった。クーパーは丁重にもてなしてくれたホテルの主が完璧主義であることを感じ、ホテル中細部に至るまでに現れていた。ゲストルームやその他の設備においても絶えずリノベーションされているようだった。ワースは仕事のストレスを運動することでバランスをとっていた。
クーパーのワースとの会話は数日にわたってホテルの中や周りで行われた。管理者用の部屋でも行われ、そこにはホテル経営者の印象的な亀の陶芸コレクションが置いてあった。クーパーにとって特に忘れられなかったのはハスラーの広大なペントハウスのテラスからの景色だった。永遠の都、ローマの歴史的遺跡や建築物の美しさを見渡すことができた。
クーパーのロバートさんへのインタビュー 文字起こし
クーパー: ホテルを経営してどれくらい経ちますか?
ワース: 1982年から。1916年に私の家族のものになって、私の家族は5代前からホテルビジネスの伝統がある。始まりはスイスで、ずっと5つ星ホテルにこだわってる。
CC: ホテル経営をする中で目標達成までに直面した問題はどんなものがありますか?
RW: 5歳の時、私は耳が不自由なことに気付いてなかった。ミランにある耳の不自由な人たちのための学校に通っていたからね。みんな耳が聞こえなかったから会話に問題なかった。12歳の時、聴者の学校に通い始めて聞こえる生徒たちとの間に大変さを感じた。どれだけ難しいことなのか分かっていなかったが諦めなかった。13歳の時、父親にホテルで働かせてほしいとお願いしたんだ。だが父親は私が父のようなホテルマンになれると思わなかった。 父は私に言ったんだ。ホテルマンになるには人と話す必要がある。電話が使える必要もあるし従業員と会話ができる必要もある。なので私は怖かった。ホテル学校に行くのが時間の無駄になるんじゃないかと怖くなって夏休みの仕事から始めた。
CC: ということはお父様はコミュニケーションスキルが足を引っ張ると思ったということ?
RW: そう。なので父は代わりに弟を考えていた。彼は1年9カ月下でとても会話が得意な人だ。たくさんの言語を話すし。。だから父は弟が家族の伝統を受け継げるから私は他のことをしたほうがいい言ったんだ。けど私はホテルビジネスが大好きだったからできるかどうか試すために夏休みの仕事を続けた。私はイタリア北部のホテル学校に通っていたけどコミュニケーションでたくさん大きい問題があった。通訳者がいなかったので、口を読む練習をした。そして第二言語として英語を学ぶことが大事だと思ったので英語を学ぶためにアメリカに行った。ホテルビジネスの中で英語は一番広く使われている言語だ。ボストン、サンフランシスコ、ホノルルで働いたてGallaudet大学に通った。
CC: Gallaudetで読唇術を学んだわけではないの?
RW: ううん、ヨーロッパで学んだ。Gallaudet は耳の不自由な人との会話の仕方を教えてくれる。すごくいい学校だよ。準学士を取っていて1年に2回行くよ。それはさておいてGallaudet からRochester Institute of Technologyに転学して1年間ビジネスを学んだ。そこからホテルマネージメントのためにCornell に行った。その時に仕事体験ができた。
CC: Cornellのインターンシップを通して?
RW: そう。サンフランシスコとハワイで仕事しながら勉強した。ハワイに居る時にホテルのエンジニアリングとメンテナンスを学んだ。Cornellを卒業してからホノルルで働いたよ。聾のためのサイレント・アロハ雑誌の総長をしてたよ。
CC: 出版のために何か書いたりした?
RW: いや、私は早朝であり編集役だった。記事は他の人が書いていた。私たちは毎月、主要な町で何が起こっているかの情報を持ち合った。例えばサンフランシスコやニューヨーク。1977年の12月にイタリアに戻った。23年間あっという間だったよ。
CC: 総責任者に志願するためにお父様の元に戻ったの?
RW: いや、父は亡くなっていてホテルは母が引き継いでいた。1978年に戻ったときはアシスタントマネージャーだった。母の元で働いていたマネージャーとはうまくいかなかった。たくさんのことが間違っているように思った。私が引き継いだ時、大きな変化をもたらした。ホテルビジネスを分かっていたからね。その時私は一番若く、イタリアの新聞では「イタリア一かっこいいのホテルマネージャー」って書かれたよ。
CC:ホテル経営で好きじゃないことは?
RW:ホテルはとても小さい。100部屋だ。ほとんどの人がたくさん部屋があって大きいホテルだと思っている。このホテルはチェーンじゃない。個人経営だ。団結が一番難しい。
CC:従業員は何人いる?
RW: 150人だ。3つのバラバラの団体から来ている。だから全員をハッピーにしながら物事をスムーズに進めることはチャレンジと言える。
CC: ホテルの一番好きなところは?
RW: たくさんの素晴らしい人々に会えることだ。たくさんの著名人が来てVIPのお客様と関わることができるから俳優や政治家とお会いして彼らから学ぶ機会がある。ホテルを経営する上で注ぐ努力とバランスとってくれてるかな。
CC: 世界が自分のところに来てくれる感じですね。
RW: 私達は最高質の環境を提供しているしできる限りの努力をしてきたので。。
筆者:袖山由美